待降節

 ──アドベントカレンダー。
1から24までの数字が書かれた小さな扉を開けることで、クリスマスまでの日数を数えることが出来るカレンダーのことである。
 最近では、中にコスメが入ってるものやチョコレートなどのお菓子が入っているものなど種類も様々だ。輸入雑貨店やコスメショップ等、色々な場所で見かけることが多くなったが、元々はイエス・キリストの降誕を待ち望むアドベントと呼ばれる期間を数える為のものだったそうだ。

 起源は19世紀初頭、ドイツ・ルター派がクリスマス前の24日間を数える為に始めたと言われている。その他、ドアに毎日チョークで印をつけたことから始まったという説もあるようだ。お決まりの“諸説あります”という注意書きを読みながら、スマホの検索結果を閉じる。何でもスマホで簡単に調べられるとても便利な時代になった。何が言いたいかというと、狙っていたクリスマスコフレの通販に惨敗した。ええ、それはもう見事綺麗に。カートにすら入らなかった。がっくし。

「ほら、そんなに落ち込まないでください」
「先月から楽しみにしてたのに!これが落ち込まずにいられますか!!ねえ!」

 ミニサイズのリップに美容液、チークにマスカラ、ブラシまで付いてるんだよ!ああ、悔しい!などと喚く私の前に安室さんがことりと音を立てて白い湯気の立つマグカップを置いた。

「まあまあ、……これでも飲んで元気を出して」

 「ね?」とこちらを覗き込みながら、安室さんが私の隣に腰掛ける。二人きりのこの部屋に広がる甘い匂いから推測するに、きっとホットココアだろう。安室さんお手製のホットココアは、ミルクたっぷりのココアの上にチョコホイップのトッピング付き。以前、二人で入ったカフェのベルギーチョコココアを甚く気に入った私の様子を見ていた安室さんが、その味を再現してくれるようになったのだ。「あのお店の味になっているかわかりませんが……」と頬を掻きながら少し照れた表情でマグカップを差し出す彼に胸がキュンキュンときめいたのは言うまでもない。

「寧ろあのお店よりも美味しい!ねえ、何か隠し味入ってるの?私も作れるようになりたい!」
「ふふ、内緒です。教えてしまったら、君が僕に逢う口実が減ってしまいますからね……まあ敢えて言うなら、君への愛情かな?」

 パチンとウィンクをひとつ。
……アイドルかよ。いや、喫茶ポアロのアイドルで間違いないんだけれど。うん、それにしてもナチュラルすぎる。とても29歳男性とは思えない。温かいマグカップを両手で包み込みそんな回想をしていたら、節くれだった長い褐色の指先が頬に伸びてきて強制的に現実に引き戻された。ぺろり、唇に熱い安室さんの舌先が這わされる。

「…………またクリーム、付いてましたよ」
「っ…………!」
「おっと!……ふう、危ない危ない」

 思わず落としそうになったマグカップを既の所でキャッチして安室さんがそう呟いた。静かにローテーブルの上にマグカップを戻し、ホッと肩を撫で下ろす安室さんをジトっとした目で睨んだが、彼はけろっとした様子で気にすることもなく言葉を続けた。

「ん、ちょっと甘くしすぎてしまいましたかね……砂糖入れ過ぎたかな」

 君、今日は少し疲れてるように見えたので砂糖を加えていつもより甘くしてみたんですけど、ちょっとやりすぎちゃいましたね……改良の余地がありそうだ。私の唇を舐めとった舌で、自分の唇を舐めながら顎に手を添えるお決まりのポーズ。そんな安室さんを照れ隠しにひとつ「もう!」と叩いてやった。「痛いですよ」と叩いたところを大袈裟に手で撫でているけど、絶対に痛くなんてない筈だ。

「そんなに強く叩いてないから痛くないでしょ!」
「酷いなあ……僕に意地悪する手はこうやって捕まえておかないといけませんね」

 伸びてきた褐色の手に両手を取られて、安室さんのおでこがぴたりと私のそれにくっつけられる。長い指ですりすりと手の甲をなぞる安室さんの醸し出す雰囲気にすっかりと呑まれそうだ。綺麗な青い瞳に覗き込まれてしまえば、もう口答えは出来なかった。ずるい。

「……機嫌直りました?」
「…………どうかな」
「困りましたねえ……どうしたら機嫌直してくれます?」

 優しく緩んだ目尻に、頬を包む褐色の暖かい掌。本当は答えなんてわかりきってる癖に。頬をなぞる親指と近付く唇に瞳を閉じて、何度も触れるだけの口付けを交わした。

「……直りました?」
「ん、まだっ……」
「ふふっ、困った人ですね」

 ちゅっちゅっと音を立てて、キスの合間に問いかけてくる安室さんについた嘘はきっとバレているに違いない。ぬるりと入り込む舌が、私の舌を絡めとっていく。擦り合わせる舌さえも今日は何だか甘ったるい気がした。ココアの味が微かに残る口内のあちらこちらに、同じようにいつもより甘い安室さんの舌が伸びていく。
 上顎をなぞられ、舌を吸われ、くちゅくちゅと口内が音を立てる。はあはあと上がる吐息にうっすらと瞳を開ければ、欲を滲ませた青い瞳と目が合った。彼の瞳に写る私も同じ様な表情を浮かべている。目尻に色を浮かべたままにっこりと微笑んでゆっくりともう一度瞳を閉じる安室さんの長い睫毛を眺めて、私も瞳を閉じた。啄まれる唇に、気付けばまたいつものように流されている自分がいた。

 ◇◇◇

「僕が作りましょうか……アドベントカレンダー」
「え?」
「まあ、君が欲しかったお店のものみたいに化粧品を入れることは出来ませんが……」

 それに窓の数もうんと減らして……そうですね、今から作るとなると……クリスマスまでの一週間分ぐらいになりますが。それでもいいかい?と、私の髪を手で梳きながら安室さんが尋ねた。このやけに狭いベッドで一緒に眠る時は、安室さんの左腕の上が私の定位置だった。とくん、とくん、と一定のリズムを刻む安室さんの心臓の音がやけに眠気を誘う。小さく欠伸を零し、頷いた。やっぱりそろそろベッド買い替えようかな。

「うん……安室さんが作ってくれるの?」
「ええ。僕こう見えて学生の頃、図工の成績5だったので。得意なんです、こういうの」
「何それ」

 くすくすと笑う私の髪を、安室さんが耳に掛ける。

  「もう……信じてないなあ。中学の頃、美展にも出たことあるんですよ。ほら、図工の時間に迷路とか作りませんでした?」
「ああ、作ったかも!え、本当に?学年の中から選ばれたの?」

 凄くない!?と驚く私に、安室さんが得意げな表情を浮かべた。可愛い。そういえば、テニスでもジュニアの大会で優勝したことがあるとかなんとか言っていたっけ。その他、確かスキーもだったような。うーん、学生の頃からきっとモテていたに違いない……ちょっと、妬ける。

「ん?……そろそろ眠くなってきたかい?」

 急に静かになった私に、安室さんがそう呟いた。少し拗ねていただけだけど、暖かい掌に髪を梳くようにゆっくりと頭を撫でられ続けてとろんと瞼が落ちそうになる。散々安室さんに付き合わされて、確かに身体は疲労困憊だった。掛け布団を肩まで引き上げられると、徐々に睫毛が下を向き始めた。「おやすみ」柔らかい安室さんの唇が目尻に触れるのを感じつつ、我慢出来ずに意識を飛ばしたのだった──。

 ◇◇◇

「開けるのは一日一つだけ。あ、開け忘れたからといって一度に何個も開けちゃ駄目ですよ」

 ちゃんと決まった時間に開けるように。僕との約束です。うーん、そうですね……毎日零時にしましょうか。クリスマスツリーを象ったお手製のアドベントカレンダーを前に、安室さんがルールを告げた。
 あれから数週間後、久々に会った安室さんは約束通りそれはそれはクオリティーの高いアドベントカレンダーを作り上げていたのだった。流石、図工の成績5なだけある。この出来栄えを見れば、美展入賞も肯ける。
 18から24の数字が書かれた小さな扉は全部で7個。丁度、明日から始まるようだ。明日といっても、あと1時間も無いようだけれど。

「折角なので、一つ目は一緒に開けましょうか」
「そうだね。はあ~、わくわくする!何が入ってるの?」
「ふふ、それはあと数分後のお楽しみに取っておきましょう」
「んー、早く開けたい!」
「こらこら」

 我慢しなさい。君、去年もそうでしたよね。日付が変わったからって、二つ同時に開けたり……今年は駄目ですよ?人差し指を立ててそう言う安室さんはまるでお母さんみたいだ。チクタクと音を立てる時計の針をじっと睨む。時刻は23時50分を示していた。あと10分の辛抱だ。

「その間に、僕は珈琲でも淹れようかな。君も飲むかい?」
「飲む!」

 こんな時間からカフェインを摂って眠れなくなりそうだけど、どうせうちに安室さんが来た夜は寝れやしないんだからまあいいか。勝手知ったる我が家のように私の家のキッチンに立つ安室さんは、時間もあるからと珈琲豆を挽くところから始めていた。

「やった!安室さん零時になったよ!開けていい?」
「ふふ、どうぞ。喜んでくれると嬉しいんですが……」

 金色で18と書かれた小さな扉を開けると、ひと口サイズのチョコレートが二つ入っていた。透明なセロファンで包まれたそれは、恐らく安室さんの手作りだろう。

「はい、安室さんにもあげる」
「いいんですか?僕も頂いて」
「初めからそのつもりだったんでしょ?二つ入ってるし」
「ふふ、バレましたか」
「バレバレだよ」

 二人で笑い合って、チョコレートを口の中へと放り込む。やっぱり美味しい。舌の上でトロけるトリュフに頬を緩めれば、安室さんも私の顔を見て優しく微笑んだ。トリュフに合わせて珈琲は砂糖控えめ。全てが安室さんの計算通りだった。

 それから毎日、午前零時に小さな扉を開ける日々が続いた。19日は、硝子で出来た小さな硝子の女の子。親指の第一関節程の大きさのそれは何処となく私に似ていた。

“ねえ、これって私?”
“そうです。よくわかりましたね”

 小さな私は、お気に入りのワンピースまで同じだった。可愛い。そして、その翌日。20日は、小さな小さな安室さんの硝子細工が入っていた。ご丁寧にハムサンドまで持っている。思わず「凄い……」と呟いた。ちょんちょんと小さな安室さんを指でつついて頬を緩める。二日前に逢ったばかりなのに、もう逢いたくなってきた。小さな私の隣に並べて飾った。お前はいいね、いつでも安室さんと一緒にいれて。二人並べた写真を安室さんにラインした。

“安室さんもそっくりだね”
“そうでしょう?力作なんです”

 ドヤ顔を浮かべる安室さんが頭に浮かんで少し元気が出た。安室さんの手作りなのかな?ふたりともとても良く似ている。流石、図工の成績5だなって一人クスクスと笑った。その明くる日も硝子細工攻撃は続いた。更に小さなハロちゃんが入っていたのだ。くりくりのおめめもよく似ている。小さな私たちの真ん中に置いて、また写真を撮って今度はスマホの待受にした。いつかこうなりたいな。予行練習みたい。

 そして22日は、漸くプレゼントらしきものが入っていた。ゴールドの台座に深い蒼色の石が乗ったピアス。恐らくタンザナイトだろう。シンプルなそれは、普段使いするにも良さそうだった。

“安室さんの瞳の色みたい”
“よく似合ってます”
“僕だと思って大切にしてくださいね”

 めずらしく立て続けに通知音がなったと思ったら!我慢しきれなくてついつい電話をかけてしまった。ワンコールで出てくれた安室さんに更にぎゅっと胸が締め付けられる。

「もしもし安室さん?今、電話大丈夫だった?」
「ええ、丁度ひとりでしたから。大丈夫ですよ」
「ピアス、ありがとね」
「ふふ、気に入ってくれて何よりです。ライン見ました?」
「うん、安室さんだと思って大切にする」
「……毎日つけてくれます?」
「つけるよ。毎日、安室さんのこと想ってる」
「っ、……参ったな、僕が言いたかったこと……先に君に言われてしまいましたね」

 電話の向こうで安室さんが顔を覆っているような気がした。意外と安室さんはストレートな愛情表現に弱かったりする。はあー、と溜め息が聞こえて少し笑ったら「何、笑ってるんですか」ってちょっと拗ねた声で言う安室さんが可愛かった。たまには困らせてやるのも楽しい。

「それはそうと、クリスマスイブ……開けといてくださいね」
「え、逢えるの?」
「日中はポアロのシフトが入ってますが、夜なら……」
「ふふ、嬉しい。逢えるの楽しみにしてるね!」
「ええ、僕も楽しみにしてます」

 その翌日の23日は、ポアロの珈琲チケットがひと綴り入っていた。“ポアロで待ってます。いつでも飲みに来てくださいね 安室”という付箋を添えて。ん~~、営業上手か!!

 問題の最終日。クリスマスイブ当日の零時丁度に最後の扉を開けた私は「嘘でしょ……!!!」と小さく震えた声を上げた。確かに開ける時からジャラジャラと音がしてるなあとは思っていたけれど!

“今夜20時、僕の部屋で”

 ゴールドのキーリングと共に中から出てきたメッセージカードのせいで寝れそうもない。どう見てもそれは、安室さんの部屋の合鍵で。恐る恐るそれを摘んで、部屋の明かりにかざしてみる。

「……夢?」

 信じられずに頬をつねったけど、痛いだけだった。え、どうしよう!どうすればいいの?ぐるぐると回る頭に、ショートしたポンコツな脳は早々に考えるのを放棄した。

「明日のことは、明日考えよう」

 もう日付まわって今日だけど。そんなことを思いつつ、ベッドに潜り込んだその時の私は知らなかった。その狭すぎるベッドで寝るのが、その日が最後だったということを──。