KISS KISS KISS

 安室さんとのキスが好きだ。
普段は彼自身の顎に添えられていることが多いのにキスをするときだけ私の顎に触れる節くれだった長い指とか、いつも爽やかな笑顔を浮かべる安室さんが時折見せる欲を滲ませた瞳や、酔って激しくキスをした時にぶつかる私よりもすらっと高い彼の鼻に、私の下唇を啄ばむ彼の少し厚い唇と口内を撫でる彼の大きな舌なんかも──あげればキリがないほどにどれも全部堪らなく好きなのだ。

 身体を繋げるのも好きだけれども、何よりも彼と唇を合わせるのが、舌を絡めるのが死ぬほど好きだった。愛されてるそんな感じがして、どこか胸のあたりがふんわりと温かくなる。セックスの最中に必要以上にキスを強請る私に、決まって安室さんは困ったように眉を寄せて、でもどこか嬉しそうな顔をする。

「そんなに僕のキス、好きですか」
「っ、すき。だからもっと」

 して。言い終える前に唇を重ねてくるあたり彼もきっと私と同じなんだろう。ああ見えて、意外と安室さんはスキンシップが多い。付き合う前から、わりと距離感の近い人だなあとは思っていた。でもそれはまだ序の口だったのだと、付き合い始めてから気付いた。

 寝起きの触れるだけのキスに始まり、ポアロのバックヤードで隠れて唇を重ね合ったり、雨音の響き渡る安室さんの白い愛車の中で窓が曇るほど口付けを交わしたり。事あるごとに唇を重ねたがる安室さんのせいで、ここまで彼のキスが好きになったのかもしれない。私に幸福メーターがあれば、安室さんが唇を重ねる度にぐんぐんと上昇していることだろう。もうとっくにメーターマックスで天井突破しているだろうけど。ああ、幸せ。好き。

「前髪、少し伸びてきましたね」

 離れていく唇にゆっくりと目を開ければ、私の顔にかかる前髪を指先で整えながら安室さんがそう呟いた。

 今日はコーヒーが香るキスだった。
テーブルの上にはまだ飲みかけの、安室さんが淹れてくれたコーヒーがマグカップの中に半分ほど残っていた。うだるような暑さも漸く引いてきたので、今日は久々のホットコーヒーだった。
 グラスにたっぷり氷の入ったアイスコーヒーもいいけれど、やっぱり淹れたての香り立つようなホットコーヒーが好き。それも淹れるのがうんと上手な安室さんが淹れてくれたものが特別に。ぼんやりとそんなことを考えていたら、青空のように綺麗な彼の瞳が私の瞳を覗き込んでいた。

「僕が居るのに、考え事ですか」
「……ごめん」
「何、考えてたんです?」
「んー、……安室さんのこと、かな」
「僕のこと?」

 安室さんが首を傾ける。あざとい。三十手前にもなってそんなポーズが似合う男を私は他に知らない。

「そう、安室さんの淹れたコーヒーが好きだなあとか……あとは安室さんのキスも、好き」
「…………はあ」

 片手で顔を覆うようにして俯く安室さんを、ふふっと小さく声を上げてひっそりと笑った。ジロリと指の隙間から覗く瞳と目が合ったので、にっこりと微笑んでおいた。

 ◇◇◇

「前髪、切りましょうか」
「……安室さんが、切ってくれるの?」
「ええ、僕で良ければですけど」

 これでも僕、髪は自分で切っているんですよ。自分の前髪を少し指で持ち上げながら、毛先を見つめて安室さんがそう言った。
 こだわりが強そうだし、何でも器用にこなす人だなとは思っていたけれど、まさか自分で髪まで切っているとは思わなかった。新たな発見に、私の知らない安室さんが他にも沢山いそうだなあとまだ見ぬ彼の別の顔を想像した。謎多き男、安室透。知れば知るほど深みに嵌っていく。

「じゃあ、お願いしようかな。丁度、切りたいと思ってたんだよね」
「ふふっ、任せてください。とびっきり可愛くしてあげますよ」
「……切りすぎないでね」
「酷いな、僕を信用していないんですか……」

 苦笑を浮かべながら鋏にヘアピン、タオルに櫛などをテキパキと用意していく安室さんを横目でちらりと確認し、鏡を覗きながら前髪を手で撫でつけた。オン眉にされたらどうしよう、いくらなんでもこの歳でそれは痛いから回避したい。

「じゃ、いきますよ。目に入るといけないので、目を閉じてくださいね」
「……はい」

 前髪の束を少し持ち上げられて、いよいよ鋏が入る。チョキチョキと鋏が動く音、目を瞑っても薄っすらと瞼の裏に移る安室さんの影に、目を開けたくなるのをじっと堪えた。何度か前髪を持ち上げては離し、また次の束を持ち上げる。それの繰り返し。そんな彼の手の動きを気配で感じながら、まだかまだかと終わるのをそわそわと待った。

「よし、……このくらいかな」

 あ、まだ目を開けちゃダメですよ。今、顔についた髪をはらいますから……僕がいいって言うまで目を開けないでくださいね?そう告げる安室さんの声に従って引き続き目は閉じたままだ。
 タオルで優しく頬を拭われて、少し擽ったい。時折、彼の指先が直接顔を拭う感触もあった。きっとタオルで取れなかった部分を指で直接払ってくれたのだろう。ゆっくりと離れていく指先に、もうそろそろ目を開けてもいいのかなと思っていたら、唇にふにっと柔らかい何かが触れる温もりを感じた。目を瞑っていてもわかる、安室さんの唇だ。軽く触れるだけで離れていったそれに堪らずゆっくりと目を開けた。

「僕がいいって言うまで開けちゃダメって言ったじゃないですか……」
「だって、安室さんがキスするから」
「……カット代、ですよ」

 今度は私が顔を覆う番だった。紅く染まる頬を優しく指でなぞられて、ゆっくりと頭を撫でられる。後で覗いた鏡には、絶妙なバランスで完璧に切り揃えられた前髪が写っていた。心配していたオン眉は免れた。それどころか、いつものサロンと同じレベルかもしれない。……それは言い過ぎか。

「いつも君のことを見ていますからね。君の好みも、君に似合う髪型も、僕が知らないわけないじゃないですか」

 にっこりとそう微笑む安室さんに、今度は私からキスをした。嬉しそうに笑う安室さんに腰を抱かれながら、深くなる口付けにもう何も考えられない。完全に彼の掌で踊らされてるなと思いつつも、それすらも幸せに感じてしまう私はもう末期かもしれないと悟ったのだった──。