「おいハロ、君眠いのなら自分の寝床に行ったらどうだ?」
くあ……と大きな口を開けて欠伸を零す僕の愛犬は、彼女の膝の上がお気に入りだ。ジロリと僕の顔を一瞥して、まるで何事もなかったかのようにモコモコと肌触りの良い部屋着に包まれた彼女の膝の上へとその身を戻していく。身体を丸くして、すっかり寝に入る姿勢だ。
「ったく、最近じゃちっとも僕の言うことを聞いてくれなくなったな、君は……」
「……零くん全然帰ってこないから、ハロも拗ねちゃったんじゃない?」
くすくすと彼女が小さく笑い声を上げながら、スーとかピーとか寝息をたてるハロの背中を撫でた。
「“ハロも”ってことは、君も拗ねてるのか?」
「……そうだって言ったら、ご機嫌でも取ってくれるの?」
面白そうな顔で、彼女が僕の顔を見上げる。彼女の方がいつも一枚上手だ。この調子だとまた何か買わされるぞ。ハロがお気に入りのモコモコでやけに肌触りのいい部屋着は、去年彼女に強請られて僕が買ったものだ。「お揃いがいい」そう言う彼女の我儘に応えて、寝る時は何も着ない派の僕の分まで買わされた。
「零くん似合う!可愛い~!」
「……また君は何でもかんでもすぐに可愛いって言う」
「私の“可愛い”は最上級の褒め言葉です~!」
「はあ……それに、その言葉は僕よりも君の方が似合うんじゃないか……」
「んん~?何だって?聞こえないなあ!」
「……ったく、わかってるくせに。君の方が似合ってるよ、可愛い」
欲しがりな彼女の要求に応えてそう呟けば、ぎゅうっと後ろから彼女が僕の背中に抱きついてきた。何も付けていない胸がふにゅっと押し付けられる。……柔らかいな。
「ふふっ、ふわふわで気持ちいいね」
僕のお腹に回した彼女の掌が、部屋着を撫でた。
「君だって同じの着てるだろ……」
「そうだけど……」
「……まあ、僕としては背中に当たってる君のそれの方が“ふわふわで気持ちいい”けどな」
「え?……!もう、零くんのえっち!」
その後、折角着たふわふわのそれをすぐに脱いで彼女のもうひとつのふわふわなそれを堪能したのは言うまでもない。僕が彼女に甘い様に、彼女も僕には甘いのだ。
──あれからもう一年か。
彼女と居ると時間の経過さえも早く感じる。時計の針はどれも均等に時を刻むというのに、だ。
柔らかな彼女の髪を撫でながら、いつもよりも薄くて優しい顔をした彼女の唇に吸いついた。実のところ僕は、彼女のすっぴんが好きだったりする。化粧を落とすと少し幼い表情になるのがまた堪らない。
「顔違うから恥ずかしい……!」なんて彼女は言うけれど、そんな様子すらも可愛くて仕方がないし、僕に気を許してくれたような気がして嬉しいなんていうのも彼女のすっぴんが好きな理由のひとつだ。
“ピコン”
“ピコン”
“ピコン”
続け様に三度通知音が鳴った。彼女の唇を吸いながら、テーブルの上に置いたままのスマホをチラリと見つめたがスクリーンは暗転したままだった。どうやら僕のスマホではないようだ。
「スマホ……鳴ってるけど、見なくていいのか?」
「んっ、どうせ会社の人だから……っ、大丈夫…………」
明日は休日とはいえ、もうすぐ零時を迎えようというのにこんな時間に連絡してくるなんて随分と非常識な奴だな。彼女の様子を見る限り、急ぎの用事ではないようだが。
いつもの自分のことは棚に上げてそんなことを考える僕の様子に気付いた彼女が「……いいから、ちゃんとこっちに集中して」と僕の首に両手を回してくるものだから、口付けが激しくなったのは言うまでもない。
そのままリビングで、彼女を抱えてベッドの上で。逢えなかった時間を埋めるように、僕たちは愛を確かめ合った。
「なあ、いつもあんな時間に仕事の連絡が来るのか?」
「うーん、仕事っていうか……まあ、職場の人なんだけど……なんか気に入られちゃったみたいで」
毎日職場で顔合わせるから、ブロックするわけにもいかないしね、と彼女は複雑そうな表情を浮かべた。
「僕のこと言えばいいだろう……」
思わず少し拗ねたような声を出して、僕は彼女を腕の中に閉じ込めた。
「彼氏いるって知ってるはずなんだけどなあ……」
まあ、急ぎの用じゃない時はスルーしたりしてるんだけど。気付かなかったとか寝てたとかそろそろ言い訳も尽きてきて困ってるんだよね、と彼女は続ける。
「ラインだけ?」
「んーん。たまに着信も。まあ、出ないけど」
零くん、眉間に皺出来てる。
ぐりぐりと僕の眉間に指をあてて、彼女は何やら面白いものでも見るような表情を浮かべた。
「……何がそんなに可笑しいんだ」
「もう怒んないでよ。同じだなと思って。零くんモテるから、私もいつもそんな気持ちだよって」
僕の頬に両手を添えて、触れるだけの口付けを落とす彼女の唇に舌を割り込ませて、その身体の上へと乗り上げる。
「やだ、もうしない……!」
身を捩って逃げようとする彼女をシーツの海へと沈めて、夜が明けるまで離さなかった。
すっかりと疲れ果てた様子の彼女は、すーすーと寝息をたてて僕の腕の中で眠っている。そんな彼女の寝息を胸に感じながら、僕もゆっくりと瞳を閉じた。
◇◇◇
煩いな。先程から軽快なメロディが何処かから流れている。手探りで音のする方へと手を伸ばせば、彼女のスマホが鳴っていた。どうやら例の男のようだ。着信を知らせる画面をスライドして、僕はそっと耳元へとあてた。彼女は呑気に腕の中でいまだ眠っている。
「んっ……はい、」
まるで今起きたかのような寝起きの声で電話に出た僕に、相手の男は驚いた様子でハッと息を呑んだ。まさか僕が出ると思わなかったのだろう。可愛らしい彼女の声を聞くつもりが、どう考えても男の声が聞こえてくれば驚きもするはずだ。
彼女の名字にさんをつけて、彼女の携帯ですよね?と確認する男に僕は先程の演技を続ける。
「あれ?すみません、これ彼女の携帯か。……今、起こすから少し待って。えっと、どちら様でしたっけ?」
「す、鈴木です」
お前が鈴木だと言うことぐらい、着信画面で疾うに知っていたさ。電話越しの鈴木に聞こえるようにわざと腕の中の彼女へと声をかける。彼女の名前を呼びながらその肩を揺さぶれば、「んっ、零くん何……?」なんて彼女は眠たそうな声を上げた。
「ほら、君の職場の鈴木さんって人から電話だぞ」
「……え?ちょっと、電話出たの!?」
「ごめん、寝ぼけてて」
「もう……!はあ…………もしもし、鈴木さん何でした?」
面倒くさそうにスマホを耳にあてる彼女を再び抱きしめながら、その首筋へとキスを落としていく。
「ちょっと、零くんやめて!」
通話口に手を当てながら小声で僕を咎める彼女に僕はシーっと口の前で人差し指を立てて悪戯な表情を浮かべた。どんどん下降していく僕の頭に、伸び始める指先に、焦りを感じ始めた彼女が早々に会話を切り上げようと奮闘する姿を僕は満足げな表情を浮かべながら見守った。
残念だったな、鈴木。僕の彼女に手を出そうだなんて、馬鹿な考えはやめた方がいい。
さてと、邪魔者も居なくなったことだし、彼女へ悪戯の続きでもするとしようか。
──余談だが、この日以来彼女のスマホに鈴木から連絡がくることは無くなったそうだ。